安息日

安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
【新共同訳出エジプト記20章8-11節】

さて、過越祭も終わり日常に戻りましたasaです。
今日は、安息日について書いていこうと思います。

キリスト教の間では、安息日を礼拝の日としています。この日は教会に集まることもあり、教会の奉仕活動をなさるクリスチャンも多いのではないでしょうか。教会巡りをすると、安息日に、イエス・キリストの体の一部となって様々な賜物を生かして奉仕をし合う現場によく居合わせます。

この安息日とは一体何でしょうか?

ユダヤ人にとっての安息日は一切の仕事から離れることです。上にあります御言葉を守っているんですね。本来のあり方です。
私たち夫婦は律法にあるように、そしてイエス様が教えてくださったように、守ろうと思っています。

イエス・キリスト安息日に人々の病を癒し、模範を示されました。しかし、六日の間労働して疲れた人を、教会で追い使うのは御心ではないでしょう。そして、安息日だからと言って穴に落ちた羊を引き上げないのも御心ではないとイエス様は仰っています。そして人間は羊よりもはるかに大切だとも仰っています。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた【新共同訳ヨハネ1.17】とある通りでしょう。


そして、我が家の安息日の過ごし方。
ユダヤ人ほど厳密にはできません。
それは私たち夫婦は、ユダヤ人のように律法を守る共同体を持っていないからです。
まず、ご飯。
安息日の前日(夕暮れまでに)にたくさんのカレーを作っておきます。
しかしこれには欠点があり、安息日にカレーを火にかけて温めなおさなくてはなりません。厳密に律法を守れていません。
我が家は特殊な環境におかれているため、たくさんパンを買っておくことはできません。(売ってない 笑)
外国のように大きなオーブンがあるわけでもなく、大きなパンを焼くこともできません。
安息日に食事の準備をしないように、知恵を尽くして試みているのですが、なかなかうまくいっていません。

そして、安息日当日は聖なる集会を開きます。
我が家は詩編を読みお祈りをします。

いかなる仕事もしてはならないので、職業からはもちろんですが、家事も一切しません。
ですから安息日の前後は決まって忙しくなります。
こんな日を、我が家は毎週過ごしています。


【食物規制を守っているので豚ではなくて鳥か牛でカレーを作ります。ポークエキスの入ったカレーのルーは使いません。】


また、主のもとに集って来た異邦人が主に仕え、主の名を愛し、その僕となり安息日を守り、それを汚すことなくわたしの契約を固く守るならわたしは彼らを聖なるわたしの山に導きわたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。
【新共同訳イザヤ書56章6-7節】


異邦人の救いについて書かれた箇所にもしっかりと安息日のことが書かれていますね。
安息日を汚すことなく、神様の祈りの家の喜びの祝いに連なることを許されたいものです。

過越祭

また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。
【新共同訳出エジプト記12章26-27節】

4月15日の夕方から過越祭に入りました。
15日から22日の夕方までがこの期間になります。
この期間中には家の中に酵母があってはならず、毎日マッツァと呼ばれる酵母の入らないパン(クラッカーのようなもの)を食べなければなりません。

我が家は過越祭の一週間前から、酵母の入った食品をチェックし余計に買ってしまわないように気を付けます。うっかりすると買ってしまい、気づかないうちに期間中に酵母の入った食品がストックされているという事態になってしまいます。私は、普段からパンやピザを焼く習慣があるのでイーストを常備していますが、この期間中は敷地外に置いているポストにイーストを入れておきます。配達に来た方は、ポストにイーストが入っているのを見て不思議に思っていることでしょう(笑)

家の中に酵母があってはならないので、もちろん期間中は食パンを食べてはいけません。食パンが朝のルーティンの我が家は少し大変です。

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これが私の作ったマッツァです。これを一週間食べ続けます。
ユダヤ人は18分で作り終えるらしいのですが、我が家は聖書に書いてあることしか行わないのでそこはパスをします。2人分しか作らないのでだいたいその時間内に作り終わりますが。

ところで、今日は過越祭のただ中ではありますが、同時にイースターの日でもあります。イエス様が復活なさった日ですね。そして安息日でもあります。忙しいですね。

今日は、主人と家庭礼拝をし、イエス様の復活を祝いつつ、遥か昔、ユダヤ人が奴隷となっていたエジプトから導き出された日を偲ぶ…そんな一日となりました。

エス様は世にいらっしゃった間、どのような過越祭を過ごしていたのでしょうか。
神様の御心にかなった過越祭はどのようなものでしょうか。神様の求める主の祝祭日とはどのようなものでしょうか。私は考えます。

お前たちの新月祭や、定められた日の祭りをわたしは憎んでやまない。それはわたしにとって、重荷でしかない。それを担うのに疲れ果てた。お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。悪い行いを私の目の前から取り除け。悪を行うことをやめ善を行うことを学び裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守りやもめの訴えを弁護せよ
【新共同訳イザヤ書1章14-17】

神様に喜ばれる主の祝祭日とはどのようなものなのか、改めて考える一日となりました。
今日は、そんな一日なのでした。

はじめまして。

わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。

廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。

【新共同訳マタイによる福音書5章17-18節】

 

初めまして。asaです。

イスラエルの民を選んだ神様を愛するクリスチャンです。

神様を愛し、神様がモーセを通してお与えになった律法を愛する者です。

上に載せました御言葉や、旧約聖書の中の御言葉を通して、律法をできる限り守る生活に入るに至り10年以上が経ちます。

律法はユダヤ人に与えられました。私自身は異邦人であり、自分の立場をよく理解したうえで、子犬が主人の食卓からこぼれ落ちたパンくずを食べるように、律法の恩恵にあずかっています。

 

律法の中には食物規制、主の祝祭日など、生活を制限する掟がたくさんあります。

それらの法と掟と戒めを、この日本で守ったらどうなるのか…また、どこまで可能なのか…

知恵と力を尽くして日々生活しています。そんな私の日常を、ここには書いていこうと思っています。